「忖度社会」「忖度文化」「忖度政治」の実態が明らかに ⑵

忖度の慣習から見えてくるもの

 元官僚のインタビューで「仕事のほとんどは忖度だった」いう人がいた。官僚でなくとも、日本の社会では、集団の新参はまずその集団の空気を読むことから始まる。一頃「KY」という言葉が蔓延したことがあるが、空気を読めない人間ははじき出されるのが常である。
 このように「空気の圧力」は組織、集団ではどこでも発生するのであるが、特に権威が強力になればなるほど、権威の傘下にいるものは、その圧力が重くのしかかり、抗いようもない世界となる。その代表が官僚の世界⇒政治の世界⇒財界という構図なのだ。

 ただその世界に居る限り権威に守られ、権威の恩恵を受けることができる。権威に近いものほど恩恵は大きくなる、という仕組みなのだ。つまり権威に隷属することが「忖度」なのである。これが日本の構造の基礎を成していると言えるのではないだろうか。
 そこで、このような構造ができた原因を探ってみると、そこに見えてくるものは、安心、安全を確保する手段が、より大きな傘の下に入ること、という常識に則って自分を創り上げることに専念すること。つまり東大を頂点とする高学歴を目指し、より多くのオファーを集める資質を身につけることから始まる、「認められたい症候群」の発病を促す日本文化にあるのではなかろうか。「忖度」する側もされる側も「認められたい」という欲望の元に日々を送り、関心は「認められているか、いないか」なのである。 日本人の誰もが、人間の価値をより多くに「認められる」ことに基準をおいている。言い換えると他人が認める自分が本当の価値ある自分であるという思い込みが当然のように日本人を支配しているのである。 言い換えると他人にどれだけ認められるかが、自信を養うバロメーターになるのである。

「自信」とは自分を信じることであるが、自分を信じるか信じないかも他人次第ということになる。他人の評価とは他人が自分をどれだけ信じてくれるかであり、その評価こそ自分自身が自分を信じられる材料になり、それが安心と安全につながるという構図なのだ。そのために日本の教育の中心には「協調性」が置かれ、はじめから「空気を読む力」が養われるということになっている。権力者が自分の傘下を統合し支配を強固にするのに不可欠なのは傘下内の協調性である。そこに他人の評価という裏付けのない自信家、異端者の存在は傘下の統合を乱す不都合な存在となるからである。そういう意図によってつくられた日本人は海外に行っても独自のビジョンを語ることができない。そのため個性の強い外国人集団の中では独自性を発揮できない「曖昧な日本人」と言われることになるのである。
 今回の森友学園問題から「忖度」という言葉がクローズアップされたことで、日本人の「曖昧文化」の根源も見えてきたのではないだろうか。それを良しとするか否かは、「忖度」という言葉を知らない、これからの世代が決めることになろうが、いづれにしても日本人が気づかなかった日本人の本質に触れたようで、虫の目から鳥の目で私たち日本人を見ることができとても興味深く面白い体験だったが、こんな風に言うと「不謹慎」といわれそうだ。

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