新世代が解く!ニッポンのジレンマ元日SP#2

「“根拠なき不安”を越えて」#2

 第1部 不安 前回からの続き

大澤: それは社会的な不安と存在論的な不安というのがあって、存在論的不安って言うのがあって1927年ニ芥川龍之介が「ぼんやりした不安を抱えてるんだ僕は、という遺書(友人への手紙を送って)の直後に自殺したんです。で、芥川龍之介が抱えていた不安って何だろうって学者ぼ間で議論され、社会的不安(大正から元号が変わり、昭和という激動の時代に入り、エリートである自分がどうなっていくのか?)と他方では存在論的不安はむかしながら、この先何年生きられるかわからないし、自分がなにができるかも解らない、という哲学的不安に近いもので、多分どっちかっていうと後者の方ではないか?これはいろんな人が本に書いてくれているので、それを読むところから始めてみる、ということがいいんじゃないか。

古市: 結局本を読んだ上での大澤さんは?

大澤: 僕は時間が解決すると思っているんです。読んでるうちに時間が経って30歳・40歳になるんじゃない?

    (え~~!そういうことが嫌なんじゃないの?って思っちゃう私)

ポイントは自殺するってのが危なくて、1903年に」華厳の滝ってところに藤村操という夏目漱石が一高で教えている時の学生が投身自殺するんですが、それもやっぱりぼんやりとした不安を抱えた自殺なんです。そのころ煩悶青年というキーワードが明治にあって、それが社会的話題になり、煩悶青年自殺ブームが起こるんです。

(この話、漱石がその1週間前の英語の授業で藤村を叱責したようで、叱責の原因は、訳読をしてこなかったとか、英文学自体の取り組み方が間違っているとか、ありますが、はっきりしません。訳読をしなかったことくらいで自殺はしないと思いますが・・・そしてそのことが原因で漱石はうつ病になったのでは?と言われています。この番組のもう少し後で、論客の河崎純真さんが、「この世界は関係性で成り立っている」という発言がありますが、関連性があって面白いです。)

    結局結論として本読んでも行き詰まって自殺するというのはアウトな選択肢で、そうじゃなくて時間が解決すると思いながらダラダラ生きていく、あまり考えすぎない、ということのほうが自分の20代30代に周りを見て思いました。

大澤さんもやはり曖昧に生きて来た。そして今なお曖昧さを残し、それが自信無さ気な雰囲
気を出していると言えそうです。上記の回答で「ハッハー、なるほど!」と思う人はいない
でしょうね。第一、前向きじゃない生き方の推薦ですから・・・・ちょっと意地悪?

三浦: 付け加えると・・・
              18とか20の間は大学生であったり、あるいは最初のキャリアに入った人だったりすると、選択肢って無限に見えて、自分の前に(手を広げて)こう選択肢があって、だんだん(手を狭めて)こうなっていくわけじゃない!意識的に選択したり、落とされたりして結果として取れる選択肢は少なくなってくると逆に安心していく。終身雇用の社会ではそれしか選択肢がなくてその道を一生生きていくことになるけど、しばらくはそれで持つ。中年になるともう1回不安が訪れ、“俺何やってきたんだろう”と周りの出世競争もあって、また別の不安が出てくるが、結局は希望と不安が裏返しに存在しているっていう感じは、まだ選択肢があまり膨大で若いっていうことなので、いいことなんじゃないの?

国際政治学者、得意な理論構築で説得力大。最近富に各方面の活躍を見る。女性という立場というより、問題を俯瞰しながら数個の関連性を描いて理論を組み立てるので、非常に解りやすい。待される女史。男性陣もタジタジ。

古市: 答え出た。大澤さんの話に絡めて言うと、多分、自由というのと表裏一体だってことですね、不安って「自由の目まい」という言葉もありますよね、(「不安とは根源的な事由が体験する目まいである」デンマークの哲学者キルケゴール(1813-1855)

自由だから不安がる、希望もある、という表裏一体ということですよね。三浦さんに聞きたいんですが、死の自己決定について、三浦さんは自由という価値を大事にされるでしょう、三浦さんから見て死に方とかもじぶんでもっと選ばせるべきなのか、それともそこには人間が及ばない領域なのか、その辺どうですか?

三浦: 選ぶのを更新すべきと思う。ウチは三浦ファミリーとして契約のようなことをしていて、自筆で書くんです。死に方の希望について。毎年正月にそれを更新するんです。

古市: え~~!お正月に毎年死に方を考えるんだ!

三浦: それを封印してちゃんと各家に送るんです。証人もいるし、本人のその時の気分があるから、1年毎に更新するのは一番いいと思う。

古市: 望月さんから見てそういうスタイルはいいんですか?

望月: いいとい思います 自分の人生について一つ一つを考える時間を持つということは、スゴク大事だと思う、働き方とか、家庭の在り方とかは、ある種“こういうものだよね”っていうことを教わるのが一番早いから教わるが、実はそれが全然はまらなかったりするケースも多いので、ミクロに見定めていくとスゴイ生きやすくなったりするんだろうと思う。社会的不安と実在論的不安についてですが、整理できるものでもあるが、実はつながっているものだと思う。自分のちっぽけな存在に対してえいきょうを与える大きなものが捉えられないよく解らない理由で5年先10年先を見通せないことに不安の原因があるような気がする。こういう風にしたら変えられそう・こういう風にしたら逃げられそうと、思えると楽?

やはり若いほど現実的、実践的な意見が出ますね。学者の方々のように積み上げてきた枠がないからでしょうね。とても共感しますし、納得できます。

安田: 曖昧さ確率さえわからない。ここでちょっと実験したいですが・・・例えばツボの中に赤玉30個・黄玉と青玉で60個あって、赤を引いたら1万円、青を引いたら1万円getできるとしたらどっちを引きたい?               
三浦は青 会場は赤 じゃ100万円だったら? 赤が多い
もう一つ
その1 赤と黄なら100万円  その2青と黄色なら100万円ならどっちを引きたい?→その2の青と黄。これはいくつかのシナリオを描けると、曖昧さがリスクに変わっていく実験です。
曖昧さをリスクに変えるだけで不安から生じるマイナスが取り払えるということ。なので、曖昧さを減らすことは重要

河崎: この実験と反対の意見なんですが、世の中は曖昧だし決まったことはなにもない、諸行無常で変わることが前提の社会というのが、これからの時代と思っている。
変わらないという前提で考えていると経済は上昇し続ける、国はこのまま、昭和思想は永続して変わらない、安定しているだろうと思っていても、AIに仕事を全部持ってかれて、最初の定まったことと違うことが起きている。だから不安なんですね。日本はだんだん衰弱していくことになる。これからの時代はルールにないことをやること。ルールは誰かが勝手に作ったもので、さらにルールを作っても良い。正解を作ることが不安を取り除くのではなく、自分で選ぶ、自分が答えを作っていいんだということを得た方が不安を取り除ける、と僕は思っている。

望月: スゴイ面白いことと思っていて、先日居酒屋へご飯食べてたときに横で、同年配の男性二人が飯食ってたんです。それで片っぽがずーっと陰謀論を言い続けていたんです。9,11は実は仕込まれてるんだと・・・         

              その時の心の在り方というのは、実はさっき仰っていたことにスゴイ近くて、世の中ではこういう風に言われているんだけど、どのマスメディアもこういう風にいっているんだけど、自分は全然違う真実を知っていて、違うように世の中を見ることにたどり着いてる。それは既存の社会に対する批判性みたいなものがマインド資質としてあった上で、その後に曖昧さを自分なりに解消するために、選び取ってるストーリーがフェイクなんですよ。そういうことってこの世の中に本当に満ち溢れていると思っていいて、自分の健康だったり将来のことがわからなくて、でも何らかのストーリーで理解しないと生きてるのが不安だし、どう進んでいいかわからない、と言うときにたまたま近くで云ってた言葉を掴んだのが嘘のストリーだったり、自己啓発のセミナーだったり、そういうものを掴んでしまっているケースが沢山あると思う、WEB上のフェイクニュースも基本的にそんな話だと思っている。曖昧さを解消したいという根源的な欲求はあるんだけど、それに対して現実ってのは複雑だからストーリーに落とすと間違いや嘘も含まれていることが多い。

河崎: その話って大事なのは、不安って感情じゃないですか?フェイクっていう話なんですが、正しいものって何があるんですか?        

古市: 正しいとされているものはありますよね。通貨とかネーション(国家)とか。

河崎: そですね。通貨もネーションも全部幻想じゃないですか、つまりみんなが正しいと思っているから正しいのであって、誰か科学者が「これは絶対に正しい」と言ったら、それは科学者じゃないですよ。つまりこれが正しい、のではなく、全部が疑い得る。それこそが科学なので、これは確からしいとしか人は言えない。「あれはテロじゃない」と確からしい情報をえても、もしかしたらテロかもしれない。大事なことは正解が一つもないということが前提となって、その中で自分は何を信じるかということを、主体的に選んでいくことが大事だと思う。

安田: 主体的に選べるという前提があったと思うんですが、多分さっき望月さん仰ろうとしていたのは、曖昧さを解消しようと思ってはいるが、誰とつながっているか、どういうネットワークがあるかで、繋がれる情報、手に入れる情報は違ってくる、だから曖昧さの解消の仕方が人によって違ってくる、そうするとどういうネットワークか、そこを上手くデザインしないと、さっきのようなヤバめの陰謀論とかがばーっと伸びっていっちゃうかもしれないし、

河崎: もうちょっと言うと、主体というものはない。すべてが関係性のみであって、自分というのは存在しない。という前提に立っているんですけど。極論いうと、自分って結局なんだ?この問題は絶対解消し得ない。その問題を全員がこの情報で一致しましょう、というとこれは世界宗教になっちゃう。

古市: ちょっと難しすぎてきたんで・・・・

浦道:    赤を選ぶか青を選ぶかの時に、河崎さんは黄色を選ぶべきと言うんですが、僕は赤という安全性を選んでしまう人間なんですが、そこで埋もれてしまうんというセオリー通りの人生を歩んでしまって、普通に生活して、普通に家族つくって、という人生は面白味がないな?って思い始めてきて、その選択に今不安があるという状態です。

木村: 赤を選ぶ人って必ずしも大企業に就職する人って限らないと思いますよ。私も赤を選んだんですが起業してます。誰にこういわれたからこうなるということはない。

三浦: こちらが抱えてらっしゃる不安というのは、大企業に就職して、マイホーム買って、っていう人生が幸せで充実したものではないっていう風に、社会から否定されるような未来が訪れるとすると、それはちょっとどうかなって。

浦道: 自分がその人生を歩むとして、果たして楽しいのかどうなのかっていう

三浦: それは私が「ミドルエイジの不安」って言ったんですが、今の世代とか、その上の世代にも生じてきている不安だったり、不満足だったりするんです。それは訪れないとはいえないんですが、ここで、呼び出しておいて悪いんですが、ことさら不安について語ろうっていうよりも、最後は幸せなんだろうというところに、ただ、不安はわかっておいた方がいいんですが、一般的生活とか一般的幸せというのを、まだ築いてもいないのに否定するのは違うんじゃないかな?

ここで一言。私の見解では浦道さんを代表するこの世代の人たちは、自分の周囲の一般的大人たちを見て、決して幸せそうに見えないのではないのでしょうか。幸せそうにしている人々はむしろ一般から離れたアウトロー的スタンスを選んでいる人かもしれません。そういう人の方が輝いて見える、ということじゃないでしょうか。そう見えれば自分も輝きたい、幸せを実感したい、充実感を味わいたいので、できれば一般的な道ではない道を選びたいが、どうしても赤のボール(安全)を選んでしまう自分に不安を感じている、ということではないかと思いました。

また河崎さんが言いたかったことは、この世に正しいものは一つもなくて、幸せだって人によって違うものだから、「自分はこういうことが幸せと信じるから、その幸せを選びたい」という前提をはっきりさせて、つまり彼の場合は自分にとって何が幸せなのかも掴んでいないので、それを整理し、誰かが幸せと言っている幸せではなく、自分が幸せと感じられる幸せとは?から始まり、自分でその道を開発し、また自分のルールを作り、セオリーを作ってゆくことの方が不安は解消されるってことじゃないかしら?私としてはもう少し河崎さんに語ってもらいたかったんですが、多分河崎さんの頭の中には多くの一般的ではない意識が詰まっていて、望月さんのいう「別の答えを知っている、自分なりの着地点を見つけた」方で、しかもそれはこれまでの一般的世界観という土俵の中にではなく、外にあるために、それを整理して簡単に解りやすく言葉にできないような様子がみられました。実は私はこの論客たちの中では一番彼の意見に興味があり、一番時代の先端にいるような気がします。彼の理論は科学と仏教が融合した、非常に俯瞰的思想を持った人であると感じました。皆様はいかがでしたか?面白いですね~ではまたお会いしましょう。・・・次回に続く

 

 

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