「感情」は自己責任‼ 3

 

「感情」は自己責任‼
自己フィルターを通した体験から生じる感情―自己のフィルターの除去は難しい―どうしたらいいの?を考えてきました。

最近のニュースより―“自己責任とフィルター”

 このところ連日世間を賑わしている、豊田真由子衆議員院議員の激高は、昨日の「ひとり言」にも取り上げました。怒りという「感情」が、徹底して部下(他者)に原因があり、その部下(他者)が責任を自覚できないために、更に怒りが増幅し、ますますコントロール不能になってしまったという状態のようですね。怒りのブラックホールに吸引され抜け出せなくなっていく典型的シンドロームを見せられているような気がします。

 このような状況は男性同士においては珍しいことではないと思うのですが、女性がこれほど怒りを露わにして恥も外聞もなく暴れ倒し、暴力沙汰にまで発展させるに至ってしまうということは、一般的女性としてはプライドに制御され、よほど品位にこだわらない刑務所の中の女囚とか、ヤンキー同士とかでない限り見られないことです。つまり、このような激高は人間としての資質を問われる恥ずかしいことであるという認識が、社会通念となっていると思っていたのですが・・・・思い違いだったのでしょうか?

 この方、豊田真由子衆議員院議員は華々しい経歴の持ち主で、東大法学部卒業後、ハーバード大学大学院へと進み、厚労省に入省し、その後埼玉4区から衆議院総選挙で2回も当選を果たし、更に政務官を歴任するという経歴に加え、国交省のキャリア官僚の夫とともにエリート街道まっしぐらという仰天人物なのです。

 そんな人が、「感情」をコントロールできなくなって、現在の状況に陥ってしまったというわけです。本人は今頃きっと後悔してもしきれないほどではないかと思います。こうした原因は、とよた真由子氏には『「感情」は自己責任‼』という認識がまったくなかったのか。それともそういった認識があっても制御する手立てを知らなかったのでしょうか。

「この、とよた真由子様の言うことが間違っているというのか!」とか「ち~が~う~だ~ろう~」などを聞くと、そもそも“部下は愚かな奴隷”というフィルターをお持ちのようで、それを認識しない“お前ら”が足を引っ張っていることが腹立たしくて仕方ない。と日常的に潜在意識に染み着いているのでしょう。秘書が20人以上も辞めて誰も居つかないというのは、回りの人は皆バカに見えて、つい無能扱いするのが習慣になっていたのでしょう。こんな人が国会議員で、しかもこれまで続いていたのを見ると、もしかしたら、霞が関全体がこんな空気にまみれているのかもしれないと思ってしまいます。

 もう一人の国会議員、稲田朋美防衛相も同様に話題の人となっています。この方の場合は自衛隊を都議選の集票組織に利用してしまった、という。

憲法では「すべての公務員は、全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」と規定する、しかも、大臣は選挙運動禁止規定の対象になっている。 とりわけ、今回は対象に自衛隊が含まれるという点で、「閣僚の立場を利用した」というだけにとどまらない問題がある。と各記事は伝えていいます。

 国会議員として初歩的な過ちを犯し、野党から辞任を突きつけられている、こうした稲田氏の「軽い発言」もフィルターに問題があるのでしょう。国民のリーダーとしての間違った認識によるフィルターを通した判断による言動が、このような結果を招いたと言えます。本人の自覚はなく、誰かに説明を受けて謝罪取り消しの会見になったようですが、罪悪感は全くないように見られます。初めから、軸足を国民全体に置いていれば、当然認識できるようなことなのですが、党と所属という半径数メートルの霞が関世間に軸足を置き、その中にしか意識が向いていない、つまり自分の霞が関生命のみにしか関心がない、ということが問題なのでしょう。自民党の広告塔的スタンスで、回りの叔父様たちに保護され、温々とこれまで渡ってきたことを感じさせられます。

 この二人の議員から、もしかすると霞が関の常識は、世間の非常識ではないか、政治家の資質の実体とは非常識を堂々と常識として、権力利用する特権階級であると認識しているのでは?霞が関のおじ様たちは、「俯瞰」という言葉を知らないのかもしれませんね。いや、聞いたことはあっても、日常的に国を預かる立場で使ったことはないのでしょう。そうなると霞が関の存在は国民にとって、毒にはなっても薬はならないということにならないでしょうか?

 3月から始まって未だに忘れていない「森友学園“忖度”政治」やその後の同様の「加計学園問題」なども、スッキリと誰にでも説明できるような仕組みからは程遠い霞が関常識のごり押しが原因としか解せません。

 私も決して常識人間とは言えないことを自覚していますが、それとは質を異にした、独裁志向の臭いが漂ってきます。今回のお二方の核にあるのも、明らかに独裁志向に傾いて、その上に構築された人格、人間性と見るなら、フィルター(潜在意識・無意識の癖)は当然その色になることは明らと言えるでしょう。こうしてみるとあらためて“フィルター”の怖さを実感します。

 思わぬところで、「感情」と「フィルター」の相互作用の勉強をさせていただきました。
“「感情」は自己責任‼・フィルター除去は難しい”はまだまだ続きます。

 

 

 

 

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