「感情」は自己責任‼ 2-2

・自分の考えは正しいか?

以下“『100分de名著』 維摩経テキスト(釈 撤宗)”より引用します。

最も信頼をしていた二人の弟子に断られた釈迦は、今度は清貧生活にとことんこだわる「頭陀第一」と呼ばれる大迦葉(だいかしよう)に見舞いを役頼みます。しかし大迦葉(だいかしよう)も断ります。その理由は大迦葉(だいかしよう)が乞食(こつじき)行(ぎょう)をしていたときに、維摩にこんなことを言われたことがあったからです。
「大迦葉(だいかしよう)さま、あなたは慈悲の心をお持ちのようだ。しかし、富豪を避けて貧乏な人ばかりに施しを乞うているようですが、そこには“生活が困窮している人こそ功徳が詰めるように”という意識と、“贅沢なものをほどこされることがないように”という想いがあるのはわかります。が、すでにそこに“こだわり”が生じていることに気づかねばなりません。乞食行というものは平等に世界に立脚し、すべて自然のままに実践すべきなのです。また、乞食行はあなたの食欲を充たすために行うものではありません。受け取らないために受け取るのです。誰かに施しをもらうために、誰もいない村へ行くのです。見えるものを見ず、聞こえる声はこだま、香りは風、食物の味に区別はありません。智慧によってものごとに接触し、すべての現象は幻だと知ることが大切なのです。
 維摩はここでレトリックを使いながら乞食行の本質を語っています乞食行は日々の食糧を得るために行うものではなく、自分の本性を知るために行うもの。施す側も解かせる側も、施されるものも、損も得も、すべては私たちが作り上げた虚構の価値観にすぎないことに気づき、すべての執着を捨て去るために行うのが乞食行だとここでは説いています。さらに「あなたは、もしかしたらじぶんが立派な詩邪になるために乞食行を行っているのではないでしょうか。それは本当の乞食行ではありません。すべては関係性の中で成立しているのだから、乞食行というのは施す側のものでもあるのです。そのことに気づかなければ」すべては無駄になってしまいます」
 多くの経典では、舎利弗の智慧に感嘆し、目連が神通力を駆使して活躍し、大迦葉の修行態度を褒めたたえているのですが、この経典では批判されるポイントになっています。維摩は釈迦の高弟たちに揺さぶりをかけ、自らの仏道を再構築するように導いたのですね。

 このあとも維摩と過去の出来事を理由にことごとく断られてしまいます。ここでは興味深いものをいくつか抜粋して紹介しておきましょう。
 説法が上手な「説法第一」と称される富楼那(ふるな)という弟子は初学の比丘(僧)たちに説法をしているときに、「自己分析と他者観察」の大切さを説き、もともと最下層のシュードラ身分の出身者だった「持律第一」と称されていた優婆離には、「人は自分というものを必死に守ろうとして、誤った考えや行動に走るもの。戒律を守れという前に、もともと“守るべき自分というもの”など存在しない、ということを知るべきです」と説く。また釈迦の実の息子である羅睺(らご)羅(ら)は「なぜあなたは王子の地位を捨ててまで出家したのですか?」と問われ、羅睺(らご)羅(ら)はその理由として出家の利益や功徳を上げたそうです。すると「利益や功徳というのはこの世界での価値からはなれていない(有為)ところで成立するもの。出家とは利や不利、くどくや向く独、損や得、敵や味方などといったあらゆる対立関係から離れた世界(無為)でなければなりません」また維摩は「出家とは生活形態ではなく、生きる方向性である」と人に説く。これは出家概念の革命的な転換と言っていいでしょう。
 十大弟子のすべてに断れ、たくさん集まった菩薩の中から弥勒菩薩に声をかけますが断られました。弥勒菩薩も維摩に言われたことがありました。
「弥勒さま、あなたはお釈迦さまから、完全なる悟りを開いてやがては仏になると約束されているそうですが、それはおかしいのではありませんか。なぜなら、仏教では、すべてのものはこの瞬間にしか実在しないと説いているからです。すべてのものが瞬間、瞬間で消えさっていくとすれば、過去はどこにも存在しないことになるし、未来はいつまでも未来であって、現在にはならないことになります。だから仏教では有(存在)と時(時間)は不離であって、別々に成立することはないのです。それを考えるとあなたがお釈迦さまと交わした約束は成り立たないということになってしまいますよね」と(弥勒菩薩は56億7千万年後に生まれ変わるとされている)。中略

結局引き受けたのは文殊菩薩でした。維摩は
「あなたは“来ない”という姿(不来迎)でここに来られました。そして“見ない”という態度(不見相)で見ましたね」文殊菩薩は少しも動じることなく「確かに、おっしゃる通りです。“来た”という結果はすでに過ぎ去った者です。だから、
もう、“来る”という行為を行うことはできません。いや、わたしはどこからも来ることはできないし、どこへ去ることもできない、といったほうがいいでしょう。この瞬間しか実在はできないのですから。同様に、何かを見るということは、何かを見ないことでもあるのです」と。
互いの挨拶が終わり、文殊菩薩は冷静かつ丁寧に「ところで、あなたの病気の原因はいったい何なのでしょう。いつ頃から患っているのですか。何をすればその病は治るのでしょう」と、たずねます。そして維摩は言いました。
「ものごとの本当の姿を理解できないという(痴)と、自分でもコントロールできないほど次から次へと貪る心(有愛)が原因で、私は病気になってしまいました。これは誰もが罹る病です。もし、すべての人がこの病気に罹らないでいられるならば、そのときこそ私の病気も完治することでしょう」
維摩は「衆生病むがゆえに、我病む」と言っているのです。引用終わり

・私見
弥勒菩薩との会話は、挨拶から禅問答のようで、レトリックを駆使し、言葉遊びを二人で楽しんでいるかのようにさえ感じてしまいます。言葉を駆使するということについても、「言葉は不完全」言葉では伝わらない、と言葉いう人間独自のツールに重要性を置いていません。そんな維摩の理論に矛盾しているとしか思えないのは私の未熟さだけでしょうか。
また、生まれ変わらないために修行を積んで菩薩になった弥勒が56億7千万年後に生まれ変わるという約束をしているのも矛盾です。弥勒菩薩は悟りの修行の相当のレベルまでたどり着いて菩薩となり、それから56億7千万年もの間もまだ解脱を果たせず、生まれ変わるしかないということなのです。そして悟りの世界は通常の智慧では認識できないとされているので、「空へ行きつく手立ては何に求めるべきですか?」と文殊が尋ねたとき維摩は「六十二見(仏教以外の異説・異論のこと)から求めるべきでしょう。」と応えます。更に「六十二見は何を手立てに求めるべきでしょうか?」「それは“仏の悟り”の中から求めればよい。」「悟りは?」「世の人々の心の働きに求めるのです」と。最後に「一心に仏を念じて礼拝すればよい」と応えています。
 仏が認識できないのにそれを想念することができるのか?また、念じて礼拝するとは、認識して拝み崇めるということですが、「すべては平等」という仏教の教えと矛盾し、「空」の思想に矛盾しています。いずれにしても解り難く、一般の人々の役に立つのか?と、そしてたどり着く手立てを更に聞く文殊に、ぐるぐる巡って、「人々のこころの動きに求めることができる。」と維摩は応えています。人々の心の動きを観察しても、自分を見つめることは説いていません。(むしろ自己への執着を否定)
尚維摩の言う「衆生病むがゆえに、我病む」は、慈悲心があまりに強く、衆生の悩みに病気になるほど共感したということを言っています。これに対しても、これまでの疑問と同様、「何故?」と問いたくなります。

私の尊敬する、ベトナムの仏教僧“ティクナット・ハン”は「、苦しみと戦ってはいけません。苦しみを消そうとすることではなく、優しく抱いてあげてください。しっかり見つめて、よくあやしてあげると落ち着かせることができます」と説いています。私も、怒りや苦しみが生じたとき、ゆっくり観察し、どこからやってきたものかを観ることを励行しています。自分からちょっと離れて上のほうから俯瞰してみるのですが、ときには相当上空まで離れないと見えないこともあります。でも観察しようと、ちょっと自分から離れただけで、怒りなどの感情は薄れ、その他の苦に関しても、観察行為に集中することで、痛み、苦しみはその陰となって、瞬間は忘れています。観察を続け、原因が見えると
それだけで、ほとんど解決したような気持ちになります。苦の残像がまだ消えなくても、それを追いかけることをせず、そのまま放っておくのですが、いつか、知らない間に「腹が立たない自分」になっていることに気づきます。なので、私としては悟りや解脱への欲求はなくなってしまいました。
 “ティクナット・ハン”は「意志と望み」そして「洞察(inside)」の大切さを語っています。意志も望みも他の仏教の教えでは、意味のないものであると説いています。「自分自身を受容できないときは、深く内観し、過去から未来を無私の視点(俯瞰)から眺めたら自由への道が姿を現し、現象より遥かに早く変容は起こるでしょう」と説きます。
 私にとっては “ティクナット・ハン”の言葉はいつも、抵抗なく入ってきますが、皆様は如何でしょうか。よって、日本の仏教界に偏ることのなく、異端、異論にも、仏教界の外側、特に科学の世界にも、自由に目を向けることをこれからも行ってゆきたいと思っています。
 結局『維摩経』から、「フィルター除去」の明解な答えを得ることができなかったので、『維摩経』については、この辺で幕を閉じます。
この後は、少し科学の新しい理論の中から探ってみようと思います。

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