鳥の目

一人を楽しむ「ソリチュード」or孤独な「ロンリネス」?

恥を恐れる日本人が「孤独」に陥る納得理由 どこの国でも男女共が直面する課題だが
                                          岡本 純子
                                       
2019/01/22 07:40

© 東洋経済オンライン 男性が歳を取るにつれ内向的になってしまう、その理由とは?(写真:DragonImagesiStock

 「恥じらいを忘れた女がオバサンになり、恥をかくのを恐れる男がオジサンになる」

 筆者は昨年、現代人の宿命ともなりつつある「孤独」について掘り下げた『世界一孤独な日本のオジサン』という本を上梓した。とくに中高年男性がその犠牲になりやすい、という内容に、賛否両論のご意見を頂戴したが、このテーマについての会話の中で「何歳から、オジサンなの」という問いをよくいただく。それに対して、冗談交じりに返す答えの1つが冒頭の言葉である。「恥」という感覚の捉え方の違いが男女の孤独格差につながっているのではないか。今回はこんな仮説に基づき、「恥と孤独」というテーマについて掘り下げてみたい。

「ロンリネス」は健康に悪影響を及ぼす

 1人の時間を楽しむ「ソリチュード」はいいけれど、誰にも頼ることができず、たった1人で不安で寂しい気持ちを指す「ロンリネス」の孤独は健康に悪影響を与える。これは無数の科学的研究によって実証され、世界で大きく取りざたされている事実だ。独身や独居であるといったことが問題ではなく、誰にも頼ることができず、支え合う関係性がまったくない「孤独」の状態が長期間続くことが心身をむしばむことから、海外では、国を挙げて対策に乗り出す機運が高まっている。

 日本では、孤独が肯定的に捉えられがちなこともあって、対策はまったく進まず、日本は世界に冠たる「孤独大国」化しているが、アメリカのカイザー家族財団と英誌エコノミストと共同で昨年8月に発表した3カ国調査で、日本人独特の「孤独」に対する意識と問題点が浮かび上がった。まず第1点目は、日本では、「孤独が自己責任」と考えられているということだ。その割合は日本では44%とアメリカの23%、イギリスの11%と比べて圧倒的に高かった。

 家族や友人と顔を合わせて話をする頻度を聞くと、米英では約5070%の人が「週に数回は話す」と答えたのに対し、日本では1020%台と格段に低かったのにもかかわらず、孤独感や孤立感を感じている人は日本では9%とアメリカ22%、イギリスの23%より低かった。日本人の「我慢強さ」が影響している可能性があるが、そのうち、10年以上孤独を感じている人の割合は35%と、アメリカ22%、イギリス20%より断然、高かった。引きこもりの長期化などと軌を一にしている可能性もある。

 もう1つ特徴的だったのが、男女の孤独格差だ。アメリカは女性が54%対男性46%、イギリスは女性が55%対男性45%と、どちらも女性が多かったのに対し、日本は唯一、男性が54%に対し、女性が46%と、男性のほうが多かった。孤独はどこの国でも男女共が直面する課題であるが、とくに男性にとって厳しい現実になりやすい、というのは日本独特の傾向といえる。

女性はどんどん「外向き」になる

 高齢者などを見るとこの傾向は顕著で、集会所でも、街中でも、おばちゃん軍団は元気でパワフルに社交を楽しんでおり、夫との死別後はますます意気軒昂という人も少なくない。そうしたご婦人方に「ご主人は」と尋ねると、たいてい「亡くなった」「家にいる」「たまに図書館に行く」という答えが返ってくる。

 年を経るごとに男性は、「内向き」の力が働きがちになる一方で、女性は遠心力が働くように、どんどんと「外向き」になり、つながっていく印象がある。こうした傾向について、男性更年期など「メンズヘルス」に詳しい順天堂大学の堀江重郎教授は女性セブンで、「(男性は)獲物を追い、自分を認めてもらい、獲物を仲間に与えることで男性ホルモンは活性化する。狩りは、今の社会で言えば仕事。引退後、その狩りをしなくなると男性ホルモンの分泌は減少し、意欲と筋力が低下し、いつも家にいる」「女性ホルモンは自分の周囲をケアするように働くが、閉経により減少すると、もともと持っていた男性ホルモンが優位になり、外へと目が向く。閉経後の女性はどんどん外出し、社交的に振る舞うように設計されている」といった趣旨の解説をしている。

 まさに内向き、外向き説はホルモンによっても説明できるということのようだ。これ以外にも、「オジサンの孤独」には社会的、文化的、生物学的なさまざまな要因が絡み合うが、中高年男性を孤独に向かわせる1つの価値観に、冒頭に挙げた「恥」というものがあるように思う。

 恥についての論考はアメリカの人類学者ルース・ベネディクトの『菊と刀』が有名だ。ベネディクトはキリスト教的な価値観に基づき、自分の内面に善悪の絶対の基準を持つ西洋の「罪の文化」に対し、他者からの評価を基準として行動が律されている「恥の文化」を対比させた。要するに「自分の良心に照らして、それが正しければ、ほかからどう見られようと気にしない」という西洋の価値観に対して、「他人や世間からどう見られるのか」ということを極度に気にし、それによって行動を制するのが日本の流儀ということになる。

 筆者は長年、エグゼクティブに対するコミュニケーショントレーニングをなりわいとしてきたが、日本企業における「リーダーシップ」、つまり、「できる男のイメージ像」というものも、この「恥」の価値観に立脚しているところがあると実感する。正確性、緻密性が何よりも重んじられ、失敗や間違いを極端に恐れる無謬主義、減点主義の風土の中で、間違いを犯してはいけない、弱さを見せてはいけない、恥をかいてはいけない、と自分を律しがちになる。

 他人からの視線を気にして行動を制する「恥」の概念は、「恥を知る」といったように、日本人独特の道徳性を支えてきたともいわれる。しかし、そこにとらわれすぎれば、男女を問わず、人との交友関係を広げよう、何か新しいこと挑戦しようという方向にベクトルは振れにくくなる。

沢田研二と稲葉浩志にみる男性の「恥」

 ここに2つのケーススタディーがある。

 1人目は、「客席が埋まらなかったため」と昨年10月、開演1時間前に公演をドタキャンしたジュリーこと、歌手の沢田研二(70)さん。もう1人が、日本の代表的ロックユニットB’zの稲葉浩志(54)さんだ。昨年9月に福岡で開かれたライブで、声の調子が悪く、ガラガラ声で数曲歌い、中断する事態となった。聴衆は「中止か」とどよめいたが、再登場し、何度も観客に謝りながら、「自信はないけど今の自分を見てほしい、どうか厳しい目で見てほしい」「プロとしては完全に失格だけど、B’zの生きざまを見ていってほしい」「もしまた聞き苦しい声になってしまったら、その時は必ず埋め合わせをする」といった趣旨のメッセージを訴え、歌い切った。かっこ悪さをさらけ出す正直さに観客は心を動かされたという。

 「恥をかきたくはない」と体面にこだわる人と、恥ずかしい姿をさらけ出せる人。どちらが共感を集めやすいか、仲間を作りやすいかは火を見るより明らかだろう。恥や共感の研究で有名なアメリカ・ヒューストン大学のブレネー・ブラウン教授の考察が非常に興味深い。

 ブラウン教授はTEDトークの中で、こう指摘した。「人との関係をこじらせることへの恐れが『恥』」であり、「男性にとって、『恥』とはすなわち、弱く見られたくない。これに尽きる」と。一方で、人と心を通わせることのできる人に共通するのは、「自らのもろさや弱さ(vulnerability)をさらけ出すことをよしとしている」点であると述べている。つまり、弱く、不完全な自分を認め、受け入れ、さらけ出す勇気、恥をかく勇気こそが、人とのつながりの第一歩であるということだ。

 「強さを誇示することが本当の強さ」ではない。「自分の弱さを認める強さ」こそが、孤独や生きづらさを解消する生き方のカギとなるということなのだろう。

 

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