快のままに

日々工夫

「日々工夫」で脳活性

  認知症は、患者だけでなく周囲の人(介護者)を巻き込み共倒れ、しいては生活破壊にまで及ぶ大きな問題となることを、今は亡き夫を通じて身をもって体験しました。最近では脳の活性を促す各種の脳トレテキストも多く提供されています。夫の場合ももちろん初期段階で任天堂のDS脳トレソフトを使ってトレーニングをしていました。その時感じたのは、はじめの2~3回は物珍しさで面白いのですが、そのうちトレーニングを重ねていると“あまり面白くない”となり、義務的にトレーニングをするようになります。その結果次第に回数が減り、まったくDSに触れないようになってしまいした。

 後日ふり返ってみると、夫は「考える」ということ自体を「仕事」にしていたような気がします。少なくとも「考える」ことを楽しんでいたようには見えませんでした。できるだけ考えないように、できるだけ“ボーッとしていたい”、というのが晩年の姿勢だったように見えました。

 現役時代に無理矢理頭を使うことを強いられ、考えることに疲れてしまった後遺症なのかもしれません。無理もないことと、同情するばかりです。ただ本来「考える」ことは必ずしも辛い、苦しいことではなく、むしろ楽しい面白いことのはずです。しかしながら日本の経済成長期には組織の意志、組織の足並みをそろえることを優先し、組織の目的達成に寄与することが日本人の多くの人たちの常識で、それが生きる役割にもなっていました。そして個性はなるべく消さなければならないというのが社会の風潮でした。そのように教育され、叩き込まれ、軍隊のようにしっかり足並みをそろえることにフォーカスしているうちに、「自分で考える」という能力がどんどん削がれていった結果「考える」ことが苦手な人たちを多く作ってしまったのではないかと思ってしまいます。そこで今回は認知症の夫の介護体験から、認知症予防のために脳トレ訓練を日常の「工夫習慣」によって楽しく面白く持続できる提案をしたいと思います。

 「日々の工夫」と言っても、特に大きな努力を伴うものではありません。現状の問題点を「仕方ない」と無視して諦めたり、我慢してしまうのではなく、それぞれがそれぞれの居心地よい空間を作ることにフォーカスすることから始まります。

 衣食住や仕事において、違和感のあるところを見つけ、それを解決する方法を探すことが「日々工夫」です。というと「そんな面倒くさいことを、もう今更できない」という方もいるでしょう。でも結構それをやりだすと面白くなってハマります。

 掃除、料理、居住空間や衣服(夏は涼しく、冬暖かく)、そしてゴミの処理、省エネ対策、等々。いくらでも題材はみつかります。

 お気づきかもしれませんが、快適な生活を創ることを諦めると、食事は空腹を満たすだけ、部屋は汚れても気にならない、入浴や洗濯は自分が匂わない程度でよい、など生活が荒れてしまう方向に進みます。そうなると自分自身を大切に思うココロも萎えてゆきます。「どうせ~だから」、「今更!」「どっちみち~」、などとネガティブな思考に傾き、人と逢うことすら面倒になってしまう。(実は我が夫もそんな傾向にあったように思います。)フリーな時間はただ寝ているかネットサーフィンで時間を費やすだけ。ということになるのも実はこんなところに原因があった、と気づくことがあります。これは年齢を問わず未来が見えない「したいことが解らない」という若者たちにも共通することではないかと最近感じています。これは大変もったいないことと思うのです。

「今日一日を充実した一日にする」そして、寝るとき「あ~今日は面白かった、楽しかった」そして朝はスッキリと目覚め、「今日はどんな面白いことをしようか」とワクワクして臨む、その一番の近道が「日々工夫」なのです。そして脳が活性しているほど幸福感は大きいということがいえるかもしれません。

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です