制限という悲劇を味わい・・・・

骨折して気づいたこと

  このところ腰の骨折で動くことができず休業していました。しばしの時間キーボードを打つ姿勢に回復でき、鈍痛の中記事投稿に挑戦しています。
 
人間時にはこのような突発的アクシデントも必要なのかもしれないと思うほど、いろんな気づきがありました。何しろ「痛みをどうやり過ごすか?」だけしか、頭の中にはない状況が続くと、そのほかのことはどうでもよくなってしまいます。

 極端なことを言うと、食べることすらどうでもよくなり、お腹が空くという感覚も少なくなります。お腹が空かなければ食べる必要もなくなり、食べることから遠ざかる、という結果になりました。
 
夜は特に激痛に襲われ、何回も絶叫していました。きっと猪や狸たちもその声に驚いて逃げ出したことでしょう。今はこんな冗談が言えるようになりましたが、その時は冷や汗で気を失いそうになるほどでした。そうなると体は動かなくなり、夜中は頭が起きると尿意を催すために、トイレに行きたくとも行けず、最初はその場で漏らすしかありませんでした。仕方なく夜間は紙おむつの世話になりながら、夜間の激痛を避けるべく自己観察をしました。どのようになったときに激痛が襲うのか?を突き止めるためです。

 こうして観察してみると、脳が眠ると筋肉は緩む、特に高齢者は筋肉が落ちて骨や内臓を支える力が衰えているために、余計にその力はなくなり、ちょっとの動きが局所を刺激しやすくなる、ということに気づきました。夜間は内臓もよく動きやすく、それが影響する場合もあるようです。かと言って脳を眠らせないようにしようと思うと回復力を損なうことになります。
 安心のために紙おむつをし、それでもできるだけトイレに自力で行けるように、あれやこれやと工夫し、初めはトイレに近いところで座ったまま寝たり、その姿勢では辛くなるので、横になれるようにしたりと、寝ることと、トイレに行くことで頭はいっぱいでした。

 人間にとって一番大切なことは「眠る」ということなんですね。そして、現代人はトイレという文化を享受したことで、よほど深刻にならない限りトイレ以外のところでは排泄が上手く行われないようになってしまっています。トイレで排泄できたときの心地よさは忘れられないものになってしまいました。
 
また、「眠る」という心地よさは眠られなくなって余計に大きく感じることができるようになり、ありがたいという気持ちが沸き上がってきます。現在もまだ完全にベッドに身をゆだねて眠るというところまでは至っていませんが。1時間半くらいの眠りでも、ほんとうに心地よく有難い気持ちでいっぱいになります。

 普段から筋肉の必要性を耳にしながら、そのことを重視することなく、自分の体を過信し、肉体の衰えを自覚せず、動けるということがどれほどありがたいことかなど感じたこともなく、胡坐をかいていた結果の顕れだとつくづく痛感しています。

 

Comment

はじめ

腰の骨折とは重症ですね。僕もクモ膜下出血というこれまた重症で手足が効かず、損なわれて知る有難みを噛みしめていました。もうほとんど回復してきています。

返信
myosho

お久ぶりです。海外旅行中なのではありませんか?くも膜下出血とは大変でしたね。でも回復されてよかったです。私はまだ2週間ほどしか経過していませんので、もう少し時間がかかるようです。

返信

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です